小学校時代①

小学1年生の時は、学校での出欠確認で「はい!」と返事をすることはできていた。

 

僕は小学1年生の時に都立梅ヶ丘病院に受診したのだが、そこで場面緘黙と診断された。

 

僕はそのころ神奈川県の相模原に住んでいたのだが、1年生の途中で急遽父の仕事の関係で韓国のソウルに行くことになった。ソウルにある日本人学校に通うことになったのだが、そこで僕はいじめられてしまった。トイレで殴られたり、蹴られたりしたせいでトイレに行くのが怖くなって行けなくなってしまい、そのころはよくお漏らしをしてしまっていた。その後、いじめが見つかって、そのいじめをしていた子は物凄く怒られたらしく、それ以降はその子からいじめられることはなくなった。

 

2年生なると今度は別の子にいじめられることになってしまった。体をつねられたり、「殺すぞ」と脅されたりした記憶がある。3年生の途中まで日本人学校にいたのだが、それまでいじめにひたすら耐える日々だった。

 

3年生の途中で日本に帰国して、小田急相模原駅の近くに引っ越し、近くの小学校に通ったのだが、そこでもまたいじめられてしまった。それと、このころはよく忘れ物をしていたのだが、担任が3回忘れ物をしたら頭にげんこつしてくる女の先生で、僕はしょっちゅう殴られていた。

 

今考えると僕はADHDの不注意優勢型の傾向もあるのかもしれないと思っている。その理由として忘れ物の件もあるが、空想にふけるのに夢中になって人の話を聞いてなかったり、知的好奇心は旺盛だが飽きっぽくて物事を継続できなかったり、聞いたことをすぐ忘れてしまって全然メモを取るということができなかったりするからだ(今では忘れ物がないかどうか出かける前に何度も確認することによって忘れ物をすることはかなり減っている)。